誰の役にも立たない

人文学部生が文系不要論を考える

先日Twitter上で盛り上がった議論の一つに、「文系(特に文学部)は就職できない」というものがあった。文系不要論に関しては以前から役に立つ/立たないの議論が目立っていたように感じる。人文学部所属の筆者はそうした一連の流れをとても面白いな〜と思い眺めていたのだ。

役に立つ学問

そもそも世論の言う「役に立つ」「社会のためになる」とはどういうことなのか。おそらくこれは「学問が社会や産業の発展・生産性に寄与する」という意味合いではないだろうか。

確かにそのような観点で言えば確実に文系の学問の可能性は限られているようにも思う。しかしながらそもそも学びにおいて生産性を求めるのはいかがなものなのか?

話は少し逸れるが、「生産性」という語を聴くと、某衆議院議員の「LGBTQは生産性がない」という発言を思い出す。生産性がないものは排除していく(文系排除)というのはこうした問題の根底に繋がるものがあるのではないだろうか。

生産性あるものだけの社会

資本主義の世の中において生産性に寄するものが喜ばれるのは理解ができる。だが、資本主義と民主主義(平等、人権など)は相容れないということも理解すべき事案であると考える。例えば中国は経済成長が著しいが、それは国家による統制が大きいとする説がある。(加速主義でググって欲しい大意はそこです。)

つまるところ生産性を高めるために多様性を排除していくと共産化していくという事だ。

結論

就活を通して、また人文社会を学び感じたのは、文系の学問はある種資本主義に対抗する手段(うまく言えないが…)なのかもしれないということだ。だからこそ企業と相容れないのではないか。

恥ずかしながら私も専攻はメディア文化で哲学や思想に明るくないためこうした加速主義や資本主義について勉強しているところである。暴論を言えば、世の中の仕組みを知るという点においてこれも就職活動の一環と言えるだろう(言えない)。

まぁグダグダ書いて結局何が言いたいかというと人文社会はめちゃくちゃ面白いよっつーことで、意味があるとかないとか理系とか文系とか関係なく知ってた方がちっとは世の中面白くなるんじゃないすか〜という話でした。

資本主義リアリズム

資本主義リアリズム