誰の役にも立たない

美しくあることと人間の価値

先日美術館に行ったら学芸員氏が「結局人間は表層しか見ない」っていう話をしてて、美醜とか言うけど皮膚一枚剥いだら所詮みんな一緒っていう論(皮肉)があるらしく頷いて帰ってきました。

もちろん外ヅラを見て快く思うことそれ自体が悪いなんてことは無いと思う。私も顔がいい人を見てキュンとすることがある。だけど外ヅラだけで人間の価値を判断したり罵声を浴びせるのはかなり違う。

個人的には世界は広いので外ヅラだけで人の全てを判断するような人間の意見はほどほどに聞くくらいでいいと思う。でもふとした瞬間に向けられる眼差しやつぶやきに気持ちがぐちゃぐちゃにされることがある。私も多少なりとも経験があるが、それは正直本当にツラい。

私は小さい頃から小太りでアレルギー体質(皮膚が)だったので身体美に対する執着が強くなかった(というより諦念が強かった)ように思う。これは私の弱さである反面、強さではないかと自負している。

というのも、身体は必ず衰えるからだ。私は衰えることを恐れない。むしろ早くおばあちゃんになりたい。なぜなら身体の美しさだけにこだわる理由がないため、もっと言えばそこではないところに生存の価値を見出しているからである。醜い人間に価値は無いのか?であればもし身体の美しさにのみ価値を感じる人はそれらが失われた時どうするのか?泣き喚くのか?

美しくあることは快い。だけどそれは他人を測る物差しではない。あくまで自分が楽しむための意識に過ぎない。

美術館での話を聞いてから自分がありとあらゆる皮を剥いだら何が残るのかを考えている。立場、衣服、皮膚、それらを剥いで残るものこそが人間の本質的な部分だと私は思う。他人と接するときにそれを見つめることのできる人間になりたい。