誰の役にも立たない

 反抗期だ。

 先々週あたりから客にも先輩にも(大抵先輩から)怒られまくっている。内容は概ねしっかりしろというものが多い。

 というのも、私がめちゃくちゃミスるのに加えてもうすぐ激戦地に飛ばされるからである。飛ばされたらこんなもんじゃ済まないから今から準備しろ、的なことがかなり多くありがたいなぁと思う反面でうるせえなという気持ちにもなる。だって自分が一番よく分かってるし。分かってることを他人に言われるのが1番腹立つ。分かっててもどうしようも無いことばっかりなんだよ、という気持ちになる。

 それとは対照的にそんなに焦らなくていいよとか真面目にやりすぎだよとか言われることもある。それも分かる。

 どうせ真面目にやったって結果がついてこなければ無駄になる職業だ。賢く頑張らなければ意味がない。やるだけやれば自己満足にはなるがそれだけじゃ他人は満足しない。そんなことは分かっているが正直正解がわからないので満身創痍にならざるを得ない。

 お客さんも先輩も、私に意見するのは当たり前のことだ。だから有難く受け止めねばならない。だけど全ての意見を聞いてたら結局自分のスタンスなんて確立できない気がする。

 早く強く賢くなりたい。100回転んでも転んだ以上に強くなりたい。

 

 スケートボードを始めた。スケートボードはどんなに上手い人でも絶対に転ばないことはない、というのを見て勇気をもらったことがひとつ。元々ヒップホップとかストリートカルチャーに興味があったのがひとつ。あとは異動先で舐められたくない(回りはほとんど体育会系の趣味がある。)というのがひとつ。今はまだリハビリのようなプッシュであるが、オーリーまで頑張るのが当面の目標である。

 絶対に仕事に役に立たないし、いずれゴルフとかやらされるだろうが自我を保つためにイキりの精神でやっていく。負けたくない。

 たぶん社会人は(というか大人は)自我を殺してある種の諦めをもつことが正解なんだと思う。私はそれでも抗いたい。社会に。

f:id:fujiichang:20210613220830j:image

 

今週は仕事のできない週だった。家に帰ってジュンク堂のバイトを探していた。あまりにも向いていないと思ったので。今の会社の採用担当者はたぶんうまく騙されてくれたんだなぁとか思う。ろくでもない会社なのかもしれない。(とはいえ私と面接した人は去年どっかに行ったらしいし私が無能でも誰も責められないのだ。)

上司は全員優しいけどたぶん内心では面倒な後輩だと思っていると思う。何故なら先輩の仕事量が半端ではないからだ。

家に帰って小一時間くらいメソメソしていたが、ぼんやりとある人を思い出していた。

しばらく前に会った頭の回転が速くてスーパータフ(そして少しひねくれている)な支社の先輩が忘れられない。私は頭の回転は早くなれないからあのタフさだけでも盗み取りたい。失敗したら開き直る、ウザい先輩はふざけんなと思う、東京は金と時間があれば楽しいなど語録を残してクールに去っていった。多分もう2度と会うことはないと思うのであえてその方を1つの指標にしている。

そもそも冷静に考えたら弊社で活躍してる人々は頭のネジと骨の数が倍くらいある人でしかない。確かにこの世界(近視眼的に見れば)では優秀なのかもしれないが、たぶん見方を変えればサイコパスだ(失礼)。そう考えたら別に普通で良くね?という気持ちになって全てがくだらなく思えてきた。身投げが好きな人を見て私も身を投げる必要あるか?そもそもウシの糞に30,000JPYくらいの値段をつけて売る仕事なのだからそれが得意な人って相当ヤベー人だ(いい意味で)。

私も会社ではかなりヤベー人材(悪い意味で)かもしれないが、ブルシットジョブとか資本のことを考えたとすればまだ倫理観がまともだろと思う。まあまともな仕事につかなかった私もまともではないのだが。

いろんな角度から物事を見ることはきっと大切だ。もっと気を抜いて多少の下心を持って気持ちを鷲掴みにいくべきなんだと思いました。もっともっとズル賢くなります。

以上。

昨日は初の土曜出勤だった。

休日が少ないのは覚悟の上だったので別に仕方がないとは思いつつも、どうしても心のどこかで休みを求めてしまう。

1日だけ残された休みは掃除と自炊で終わるかなあなどと思いながら、9時ごろのそのそ起きてとりあえず溜まった洗い物と台所の掃除だけしながら映画を見ていた。なんとなく気力が無かったので短そうな映画が良いかなあとか思っていたはずなのに最終的に『ゴッドファーザー』(1972)を見た(3時間ある)。

ゴッドファーザーを選んだのは完全にジョジョ5部の影響が強いが、加えてイタリアマフィアとアメリカマフィアについていくつか関連本を読んでいるからというのもある。あとはもう、事実が小説よりも奇すぎてヌルい映画を見ていられなくなってしまっている。殴り合いか殺し合いしかない。4月はずっと漫画を買いまくって読みまくっていたが、なんとなく5月は映画鑑賞スイッチが入ったかもしれない。

映画を見終わった後に、先輩からこの仕事では広く浅い知識が役に立つからと遠回しにオタク趣味を牽制されたことを思い出す。こういうとき、まだまだ学生でいたいなと思う。だけど先輩は正しい。お客さんとの会話でイタリアマフィアについて語る場面はそうそうなさそうだし、イタリアマフィアに詳しい営業って初見はほぼ反社だ。

3月あたりに『エヴァ』や『ジョーカー』、そして『ゴッドファーザー』を見て、フランクシナトラがよく関係しているなと思う。その中でもやはり「That's life」が刺さる。それが人生…。

f:id:fujiichang:20210509234431j:image

That's Life

That's Life

Apple Musicより

6月にはうまくいっているのだろうか…。

連休を前に落ち込んでいる。

4月も1か月が過ぎ、研修も連休明けには終わる見込みだ。この1か月でやったことと言えば部署の先輩に付いて諸々を教えて頂いたりイベントの運営をやったりといった具合で、まだまだここから先が本番といったところだろう。

私は簡単に言えば営業の仕事をすることになる(であろう)のだが、先輩方は明るく朗らかで運動が得意な、どう考えても私とは真逆のタイプの人たちばかりだ。そして底なしに優しい。同期もとても気遣いができて頭の回転が速い、良い人達だ。

正直、今とても自信がない。周囲の人は洞察の上考えて会話をしているのであろうという感じで会話のキャッチボールが上手い。私はどうしても重い口が開かなくて3テンポくらい遅れてしまい、それとなく落ち込む。会話は殴り合いではなくスポーツなんだなぁと思うしその辺りの神経が死んでいる。先輩からは藤澤さんは悲観的な傾向があるねと言われた。そうなんですよね…としか言えなかった。頑張って話を合わせた数時間後に黙っていると疲れたのかと心配される。

メモ取って会話したい。耳から入る情報がどうしても定着しない。あと人間の喋っていることがたまによく分からない。

不安は人間特有の思考だからしょうがないとかどっかで聞いたようなことを呪文のように唱えて毎日眠っている。しかしまだしんどさは感じない。本当につらいのはたぶんあらゆる手を試した上で自分に向いていないとしか思えない時だろう。

生きていく自信は無いが、生きていかない選択肢が無いのでなんとかやっていくしかない。

 

 

 

 

辛ラーメンをたべたら涙が止まらなくなった

辛ラーメン。辛いからじゃなくて辛さんが作ったから辛ラーメン。そのソース不明の情報を得てからなんとなくそこまで辛くないんじゃないか?とか思って買ってみた。今日は社会人になって初の金曜だしもうこれでいいかなァなんて思って食べることにした。

舐めていたのだと思う。涙目で拳を握りながら、時にむせながら食べた。辛いッ‼︎…。でも何故だか手は止まらなくてビックリだった。これが"うまから"というやつなのだろうか…?

金曜の夜に1人涙目で辛ラーメン食べてる自分がなんか滑稽でこの状況を誰かに伝えたくなった。しょうもないことを送るねって約束し(させ)た友人に辛ラーメンを食べたというそれだけをLINEで伝えた。(完全にダル絡みじゃあないか…。)

辛ラーメンを食べて涙腺が刺激されたのか、新社会人としての不安感からなのか、友人に会いたい寂しさからなのか、よく分からないが(たぶん全部)猛烈な落ち込みととともに涙が止まらない。

辛ラーメンはすごい。私の情緒がブッ壊れているのも当然あるが、辛ラーメンに感情のスイッチがあるのではないか…。脳細胞をズガーンと刺激してヒーリングされた気分だ。

※そういえば感情は脳の信号(電波?)みたいに言うし、もしかしてあながち間違いでもない?

それから気持ちが戻ってくるまで5時間くらいかかったが、なんだかスッキリした。麻薬か?

 

 

 

人間っていいなvs畜生っていいな

もうすぐ学生が終わるということもあり、方々から連絡が来る。私って意外と人間やってんなと思う。

12月から3キロ太った。人間やってんなと思う。

毎日読書とアニメとコブラ会で時間が溶けている。暇だけど退屈じゃない。人間やってんなと思う。

久しぶりにたくさん歩くとすぐに疲れてよく眠れる。人間やってんなと思う。

こんなに毎日ハツラツと人間やってんのに新生活のことを考えると人間辞めたくなる。春はもうそこまで来ている。

苦しめ、そして、苦しむのだ。それが人間の当然な生活なのだから。

坂口安吾『悪妻論』

まだまだ私は人間じゃないかもなとか思う。はやく人間になりたいしちょっとづつヤなとこ変えたい。

苦しみの受け入れ体制を整えつつ布団に潜る。

美しくあることと人間の価値

先日美術館に行ったら学芸員氏が「結局人間は表層しか見ない」っていう話をしてて、美醜とか言うけど皮膚一枚剥いだら所詮みんな一緒っていう論(皮肉)があるらしく頷いて帰ってきました。

もちろん外ヅラを見て快く思うことそれ自体が悪いなんてことは無いと思う。私も顔がいい人を見てキュンとすることがある。だけど外ヅラだけで人間の価値を判断したり罵声を浴びせるのはかなり違う。

個人的には世界は広いので外ヅラだけで人の全てを判断するような人間の意見はほどほどに聞くくらいでいいと思う。でもふとした瞬間に向けられる眼差しやつぶやきに気持ちがぐちゃぐちゃにされることがある。私も多少なりとも経験があるが、それは正直本当にツラい。

私は小さい頃から小太りでアレルギー体質(皮膚が)だったので身体美に対する執着が強くなかった(というより諦念が強かった)ように思う。これは私の弱さである反面、強さではないかと自負している。

というのも、身体は必ず衰えるからだ。私は衰えることを恐れない。むしろ早くおばあちゃんになりたい。なぜなら身体の美しさだけにこだわる理由がないため、もっと言えばそこではないところに生存の価値を見出しているからである。醜い人間に価値は無いのか?であればもし身体の美しさにのみ価値を感じる人はそれらが失われた時どうするのか?泣き喚くのか?

美しくあることは快い。だけどそれは他人を測る物差しではない。あくまで自分が楽しむための意識に過ぎない。

美術館での話を聞いてから自分がありとあらゆる皮を剥いだら何が残るのかを考えている。立場、衣服、皮膚、それらを剥いで残るものこそが人間の本質的な部分だと私は思う。他人と接するときにそれを見つめることのできる人間になりたい。